今日の街はいつもよりも悲しい



わたしにとって義理の父、つまり夫のお父上はとても怖い方で、夫が神経を逆撫でするようなことばかり言うせいもあるのでしょうけれども、いつもいつも怒ってらっしゃいました。
怒られている当の本人は慣れているので平然と聞き流しているのですけど、隣にいるわたしは自分が怒られているようで身が竦んでしまい、とても軽々しく声をかけられるような方ではありませんでした。
先日の母の日に、義母へのお花を届けに夫の実家へ伺ったときも、特に会話らしい会話も出来ず、あぁ今日もお話できなかったなぁ、と思いながら帰宅し、そしてそれが義父と会った最後になりました。
母の日から約半月後、脳梗塞で倒れた義父は、意識を回復することなく旅立ちました。
あっという間の出来事でした。

義父を送る為の儀式に参加しながら思い返してみても、思い出せるのは怒っていたことばかりで、思い出と呼べるようなものが何一つないことに気付き、申し訳なくて涙が出て、そしてその涙でさえも、自分の至らなさを悔いているのであって、義父を悼んで泣いているのではないことがまた申し訳なくて泣けてしまうという、最後まで本当に不出来な嫁でした。

人って不意に死んでしまうのだな。
いつでも会えるし、今度はもうちょっと言葉を交わせるといいな、なんて思っていたけれど、「いつでも」も「今度」も、あるかどうかわからない不確かなものだったのだな。
もう何もしてあげられない、一番喜んでくれるのが何だったのかはわかっていたけれど、叶えてあげることも出来なかった。
申し訳なさでいっぱいです。